ぷれぜん仙人のブログ

〜言葉で人を動かす技術の探究〜

 
タイトルのテキスト
タイトルのテキスト
タイトルのテキスト
タイトルのテキスト
   

雑記【①不完全さの許容について ②目の前の幸せに気付く力】

f:id:presen-sen-nin:20200721145936p:plain

 

ぷれぜん仙人です、

今日は雑記で、
思いついたことを書いてみます。

本当に思いつきで書いてますので、
とても読みにくくなるかもしれませんが、
ご容赦ください・・・😅

不完全さの許容について


私はどちらかと言うと完璧主義な人間で、
不完全なものが許せないタイプです。

もちろん、

ここでの「完璧」は私の価値観や、考え方、
物の見方に基づいた完璧さであって
絶対的な基準ではないわけです。

そもそもこの世の中に完璧なんてものはないと
分かった上での”完璧さ”ではあるのですが・・・。

まあ、平たく言うと「自己満足としての完璧さ」
という言葉になるのかもしれません。

この不完全さを許せないという態度は、時には
私を助けてくれる力であるとも思いますし、

また時には、自分自身を苦しめる、
両刃の剣にもなるものだと思っています。

もしあなたが私のように「完璧主義」
に偏りがちなタイプであれば、

もっと自分の中の不完全を許容することに
意識を向けると生きやすくなると思います。

人生は100m走ではなく、
長い長いマラソンです。

今日、頑張って全力で走っても、
明日を走れなくなるくらいなら、

今日を、気楽にテキトーに流した方が
たぶん正解でしょう。

自分の中に不完全なものを許せないと
する態度は必ず何らかの歪みをもたらします。

自分自身を過度に追い込んでしまう
ことにもなるでしょうし、

うまくできない自分に自信喪失
してしまうこともあるでしょう。

他人に対して
(自分の評価基準を振りかざし)

不完全さにイライラしてしまう
こともあるかもしれません。

こうした生き方は、

時には起爆剤のように自分を
奮い立たせてくれることもありますが、
またある時には自分を苦しめます。

重要な事は、たぶん、
バランスをとっていくことかと。

物事には必ず2つの側面があり、
長所の裏には短所が隠れているように、
短所の裏には長所が隠れています。

自分の中の不完全さを許容することは、
長いマラソンを走っていく上で欠かせない
ものですね。

私はこの辺がすごくすごく下手くそで・・・。

もっとうまくバランスを取っていきたいな〜
と感じています。 

 

目の前の幸せに気付く力

 

私はどちらかというと夢や目標を掲げて、
それに向かって頑張っていく、
努力していくことを大事にしています。

こうした生き方をしてきたことで、
確かに色々と手にすることができた
こともあるように思います。

しかし一方で、

常に、「何かが足りない」という不足感を
感じながら生きていくような生き方
になっているんじゃないか?

と思うこともあります。

人間は何かに意識を集中すると、
他のものが見えなくなってしまいます。

未来の夢や目標にロックオンしている時、
目の前の幸せがロックアウトされます。

実は、目を凝らしてよく見てみると、

「過去の自分が夢や目標に掲げていたもの」

は既に、自分の手の中にたくさん入っている、、、
ということはよくあると思います。

また、

今は何とも思わない。
しかし、失ってみると

「こんなに大切なものだったのか・・・」

と感じるものもたくさん手の中に
入っていると思います。

不足を考えると、

とにかく足りないものだらけに
見えてきます。

あれも実現できていない、
これも実現できていない。

あの人と比べてあれが足りない、
これが足りない・・・など。

一方で少しカメラのレンズを
向ける先を変えてみると、

自分が当たり前に思っているものの中にこそ
本当に大切な幸せがあったりもするなぁと
思ったりもします。

 

あと書き

 

今日は本当にとりとめもない
文章になってしまいました!

本来であれば、「こんな投稿に価値は無い!」
という感じで、頑張って別の投稿を書こうかな・・・

というのがいつもの私なのですが、
こんな不完全な投稿があってもいいじゃないか!

と思い直しこのまま出して、
今日のブログとしたいと思います。

 

今日は以上になります。

 


ぷれぜん仙人