『定義』について書いてみようかと。定義って何かを解像度高く理解する上で当然大事なんだけど、「1種類の定義」で満足すると良くないよって話です。
例えば、「ゾウとは何か?」と言った時に正しい定義は1種類じゃないわけです。
「ゾウは 哺乳類・長鼻目ゾウ科 に属する大型陸上動物である」という定義は正しいし、「ゾウは体長約7m、肩高約3.5m、体重は最大で10トンある、灰色の皮膚をした鼻の長い動物である」も正しい。
さらに、「ゾウはインドでは不ガネーシャ神として障害を取り除く神として愛されている存在である」みたいな定義だって正しい。
要は、同じ事象を観察しても色んな角度から、色んな抽象度で定義できるというわけ。これ、本当に色んなことに適応できるし、色んな定義を持っている人ほど、多角的に解像度高く、事象を理解できる。
でも、多くの人は学校教育の弊害?呪い?によって「定義は1種類」という不自由な思考回路を埋め込まれているから無意識のうちに、定義を増やすことにブレーキをかけている気がする。これって本当にもったいない。
例えば、瞑想。瞑想とはなんですか?と言ったら多くの人は1種類しか定義が出てこない。
でも、自分だったら例えば、
①瞑想とは心と身体を落ち着ける方法論だ
②瞑想とは自我なき意識状態のことだ
③瞑想は最強の願望実現方法だ
④瞑想とは宇宙との合一だ
⑤瞑想は癒し、ヒーリングだ
⑥瞑想は心の筋トレだ
⑦瞑想とは気づきの技術だ
⑧瞑想とは周波数の調整だ
⑨瞑想は死の予行演習だ
⑩瞑想とは”神”の能力の獲得だ
・・・みたいな感じで色んな定義ができる。
どれもたぶん間違っていないし、ある側面においては正しいと言える。でも、どれも不完全であるとも言える。言語はどこまでいっても不完全ではあるけど、何かを理解する上で役立つことは間違いない。
「どんどん定義を増やしていく」というのは意識づけると思考力、認識能力が上がると思います。



