ぷれぜん仙人のブログ

〜言葉で人を動かす技術の探究〜

天才の正体【鬼滅の刃”黒死牟の悲哀”と絡めての考察】

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ぷれぜん仙人です、
 
『鬼滅の刃』が終了しましたね。

この記事のリリースが全くタイムリー
じゃないのが残念なのですが、、、

実は、最終回の翌日にも
記事を書きました!

しかし大体、書き終わったところで
記事がバグってしまって文字化けして
使えなくなってしまったのです。。。

もう一度書き直す気にはなれず、
お蔵入りになったわけですが。。。

今日は休日なので、改めて『鬼滅の刃』
に絡めて書いてみようかと思います!

最終回については賛否あるかと思いますが、
個人的にはこの絶頂の中で潔く終了!
 
と決断したことが素直に
すごいな〜と思いました。
 
冗長な部分が一切無し!
 
というのは作品の根底を流れる
「武士道」のような感じで良かったです。
 
長さ的にも、

コミックス23巻で完結というのは、
絶妙な良い感じの長さですよね。
 
ワンピースくらいになってくると、
正直読み返す気にはならないですが、、、
 
鬼滅の刃はまた読もうかな?と思える
すごく良い作品でした。

こちらで解説しているように、

ヒーローズジャーニーをフラクタル構造
で使っているところがすごく印象深く、

www.presen-sen-nin.com

 

コピーライティングを学びたい人には、

「ストーリーライティングの教科書」
としても秀逸な作品だったと思います。
 
さて、
 
今日のテーマですが、鬼滅の刃最終回とは
何の関係もないです。笑

コミックス20巻をちょうど先週読んだのですが、

 

鬼滅の刃 20 (ジャンプコミックスDIGITAL)

鬼滅の刃 20 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

 
それにからめて「天才」について考えて
みたいと思います。
 

”努力家”の黒死牟の悲哀

 
20巻は上弦の鬼・最強の黒死牟との戦いです。
 
彼は元は鬼殺隊のメンバーであり、
日の呼吸の創始者である継国緑壱の兄でもあります。
 
”超ド級の天才”だった弟に嫉妬し、憧れ、

人であることを捨て、鬼に姿を変えてまでも
「剣の道」を探求しようとする求道者として
描かれています。

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鬼に成り果てて剣の道を追求し、
しかし、それでも弟には全く及ばず、、、
 
最後は継国緑壱の「遠い弟子」である
鬼殺隊の柱のメンバーの総攻撃で
 
よってたかってボコボコにされて
最後を迎えるというキャラクターです。
 
弟の「才能」に憧れ、嫉妬し、全てを捨てても
何も手に入れられず、消えていく、、、

そんな黒死牟の姿には共感を覚える人も少なく
ないのではないでしょうか?
(人生って残酷です!)

 

天才とは、どんな人間か??

 

鬼滅の刃の中では、緑壱さんは生まれた時から
天に愛されている大天才として描かれています。

初めて手にした剣で先輩剣士をボコボコにし、
病気の母親の内臓の悪いところ

見ただけでわかってしまうと言う恐ろしい天才です。

そして驚くべきことに、

80歳近くになってもなお、
天才的な剣の腕を維持しており、

鬼に成り果ててまで剣の道を
追求してきた黒死牟が、

全く歯が立たない!!

というズルイ天才ぶりです。

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私たちは、なぜか、こういう「天才への憧れ」
のようなものを子供の頃から抱いています。

・スポーツの天才

・音楽の天才

・学問の天才

・笑いの天才

なんでも良いですが、誰しも「天才への憧れ」
を抱いたことのない人なんていないでしょう。

私たちは、たぶんですが、「本能レベル」で
こういう天才に惹かれてしまうのです。

しかし、、、

大人になって色々見てくればわかりますが、
こんな天才は現実世界ではいません。

天才って、なんのことはない。

ただの「努力の鬼」だったりすることがほとんどです。

天才とは何かと定義すれば、

1つの道をひたすら長い年月をかけて積み上げて
追求することができる努力の才能を持っている人

ということだと思います。

よく私たちは、

うまくいっている人、成功している人、
天才的なスキルをもっている人

などを嫉妬しては、

「あの人はなぜ、あんなに上手くやるのか??」

と思いがちですが、

次の瞬間に、私たちが問うべき質問としては、

「その人と同じだけの積み上げをしているか??」

なのです。答えは簡単で、

「積み上げ不足」「努力不足」となります。

天才になりたければ、
積み上げせよ、努力せよ、です。

 

天に愛される人になる道

 
しかし、

当然ながら事はそんなに単純でありません。

死ぬほど努力したら良いか?

といえば、それだけでは「天に愛される人」
にはなれないのが人生の残酷なところです。

世の中には残念ながら、

無駄な努力と言うものがあるのも
事実だと思います。

では無駄な努力とは何でしょうか?

私が思ういくつかの
無駄な努力を書いてみたいと思います。

1、優れたイメージを持たない練習

 

まず重要なのが、
優れたイメージを持って努力しているか?

ということです。

一流の人の技術を目の当たりにしたことが
ないのに練習してもダメです。

例えば、

優れた楽器の演奏を聴いたことない人が、
優れた楽器の演奏をする事は永遠にできないでしょう。

優れたプレゼンテーションをしたかったら、
まず優れたプレゼンテーションを見る必要がある。

優れたセールスコピーが書きたかったら、
優れたセールスレターを読む必要があるのです。

この辺のイメージを持たずに、

自分の思い込みとカンでやってしまうと
膨大な時間を無駄にします。


なので、

何か練習しよう!と思ったら、まずは
徹底的に”一流の人の技術を見る”ところ
からスタートするのが大切です。
 

2、指導者を持たない練習

 

 素人が自分の自己流で
試行錯誤するのも時間の無駄です。

残念ながら、

天才の道と言うのは、

先人が積み上げてきた基礎
の上に成り立つものです。

その基礎を無視して、

素人が自分の感覚で努力をしても

99.9%どこにもたどりつかない!

というのが厳しい現実だと思います。

なので、

何か道を極めたいと思ったら、

まずはその一流のプロから教えを
受けるのが最短ルートになります。

 

3、フィードバックのない練習

 

フィードバックのない練習は
本当に、時間の無駄です。

例えば、野球のバットスイングを
練習するとしましょう。

誰に見てもらうまでもなく、
動画で録画をするでもなく、

自分のカンで毎日1000回素振りをしても
時間の無駄と言うのはわかるでしょう。

これと同様のことがあらゆる分野でいえます。

例えば、

プレゼンテーションの技術を磨くのに、
部屋で1人でずーっとプレゼンテーション
を練習していても

おそらく天才になる事は絶対にあり得ません。

オーディエンスの前に立って、
実際の反応を見ながら練習をするとか、
誰かに感想を教えてもらうとか、

自分のプレゼンしている様子を動画で
録画しておいて客観的に観察して

課題点を見つけるなどのことが必要でしょう。

要するに、

行動をして、それを観察して、
修正を加えていくということが重要です。

 

4、繰り返しのない練習


何事もそうですが、継続するということは
優れた1流のスキルを身に付ける上で

絶対に欠かせないプロセスになります。

天才のスキル = 膨大な繰り返し

です。

繰り返しやらないのであれば、
初めから何もやらないほうがいい位です。

世の中には、飽きっぽい人というのがいます。

数回トライしてみてダメだったらやめてしまう、
数ヶ月続けてみて飽きてやめてしまう、

こうした人は、

残念ながら天才のスキルはおろか、
おそらく2流レベルにすら到達する事はありません。


今日のまとめ

 

というわけで、

現実世界には”継国継壱”はいません!
という話でした。

努力無し、積み上げ無しの天才なんて
ズルキャラはこの世に存在しませんので

ご安心ください。笑

天才に見える人は、例外なく
陰で膨大な努力をしています。

天才なんて、ただの「努力の鬼」です。
(これが一番残酷な真実かもしれませんが、、、)

ちょっと前に読んだこの本も
面白かったです。

「天才」の裏側暴露!みたいな感じで
興味深かったですね。

 

わいたこら。 人生を超ポジティブに生きる僕の方法

わいたこら。 人生を超ポジティブに生きる僕の方法

  • 作者:新庄 剛志
  • 発売日: 2018/09/25
  • メディア: Kindle版
 

 
ただし、

無駄な努力をしないためには、


1、優れたイメージをもたない練習

2、指導者をもたない練習

3、フィードバックのない練習

4、繰り返しのない練習

 
は、しない方が良いと思います!

それでは今日は以上です!


ぷれぜん仙人