ぷれぜん仙人のブログ

〜言葉で人を動かす技術の探究〜

 
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自省する力【これが無くなった瞬間に成長がストップ!】

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ぷれぜん仙人です、

今日はちょっと”耳に痛い系”の話です。

自分への反省を含め、「自省」する力に
ついて考えてみたいと思います!

私は、”人間の特徴”としてこういうものが
あると思っています。


今日はこの内容を深掘りして考えてみます!

人はよく他人を批判したり、判断したりします。
(もちろん、私もよくあります!)

ネットとか見ているとこれが顕著であり、

あたかも「全知全能」かのような振る舞いを
する”コメンテーター”、”評論家”が散見されます。
 
謎の”正義の鉄槌”を落とそうとする人もいますし、
他人をコケにしたり小馬鹿にしている人もいます。

また、こうした「表に出している人」はごく一部
であり、「心の中」を覗き見たら、ヤバいことに
なっていることでしょう・・・。
(知らぬが仏、というやつですね!)

この辺りの「自分を棚上げして、他人を評論・批判」
している時の人間というのは、

自分を自省することなく、この3つの妄想に
取り憑かれている気がしています。

言うまでもなく、だいたいが妄想ですので、
一瞬、立ち止まって自分を省みる力
が重要かな〜と思っています。

 

①自分は賢い(と思っている)

おそらくですが、

学校の勉強ができたかどうか?
社会的に活躍できているかどうか?
などは一切関係なく、

ほぼ全ての人間は、例外なく
自分のことを
賢いと思っています。
(表に出してくるかどうかは別にして)

 

賢さの尺度というのは、
1つじゃないわけです。

みんな、自分のフォーカスしている部分、
得意な領域をベースに賢さを偏って捉えます。

例えば、

学校の勉強が得意な人は、

「知識がたくさんある」「難しい本が読める」
「学歴が高い」

みたいなことを賢さの尺度に
している人もいるかもしれません。

 

コミニュケーションが得意な人は、

「空気が読める」「お笑いの筋力が高い」
「会話の流れの中で絶妙な一言が言える」

みたいなことを賢さの尺度に
している人もいるかもしれません。

 

仕事能力が高い人は、

「複数の案件を管理できる」「段取りの設計が上手」
「守るべきルールを良い塩梅でクリアできる」

みたいなことを賢さの尺度にしていたりもしますし、

 

思慮深い人は、

「物事の裏にある深い意味がわかる」「本質を見抜く」
「複雑な因果関係を整理できる」

みたいなことを賢さの尺度にしてるかもしれません。

スピリチュアルな人は、

「五感で捉えられない世界を認識する」
「時空を超えたものを認識する」

みたいなことを賢さの尺度にしているかもしれません。

他にも、いっぱい、いっぱい軸があります。
あげだしたらキリがない!ですね。

要するに、100人いたら100人の賢さの定義、
尺度があり、それぞれの人は

「自分の尺度で言うと自分は賢い」
と思っているのが人間です。

これは心理学的に考えれば、
「自我の防衛本能」とも言える働きです。

要するに、「自分は優秀な人間である、
価値のある人間である」と思えなかったら、

生きているのがめちゃくちゃ辛いです。

こうした本能があるのはとても自然な働きですし、
これがないと「自信」も生まれてきません。

なので、これ自体は別に悪いことでも
ありません。

 

一方で、これが「思考停止」や
自己成長の足かせ、他者への攻撃に

これらが使われた場合は色々と
悪影響があるかな〜と思っています。

②自分は正しい(と思っている)


自分は賢い、という前提に立ったとき

自分と違う価値観、世界観、行動基準を持っている人が
「バカに見える」と言うのはある種、自然なことです。


自分が正しい!こいつは馬鹿だ!と思った瞬間に、
ある種のフィルタリングがされて、

・自分が正しいと証明できる情報
・批判する相手が間違っていると思える情報

ばかりが、目に飛びついてきます。

網様体賦活系(もうようたいふかつけい)
といって脳のフィルタリングシステムがあります。

何かにロックオンした瞬間、それ以外のものが
視界から消え失せてロックアウトされます。

人を非難している人を見ると、
「100%の確信」をもって自分が正しい!

と思い込んでいたりするのはそのためです。
(恐ろしい性質ですね)

正しい!とか思った時点でけっこう狂信的な
人間になっている可能性が大です。

アメリカ陣営もイスラム陣営も、確実に自分たちが
「正しい」と思っていることを思い出しましょう!

  

③自分は客観的に物事を見ている(と思っている)


人間は常に主観的でしかありません。

「ポジショントーク」と言う言葉がありますが、
この言葉はあまり意味をなさないと私は感じています。

なぜなら、極論すれば、この世の中のありとあらゆる
人間の主張は「すべてポジショントーク」だから。

ポジショントークじゃないトークができる人が
いたら、たぶん悟りを得ている気がします。笑

私は大学院に行っていましたので、
統計などを使って「客観的なフリ」
する技術も学びましたが、

たいてい、アホらしいほどに主観的なものです。
(都合良いデータのみを採用するだけ)

客観的な意見、なんてものは幻想です。

その人のポジションやこれまでの
人生経験などが色濃く反映された
主観的なもの以外の何者でもありません。

だから、

「客観的に見て〜」

という枕詞をつけて話している人を見つけたら
ほぼ間違いなく、主観的に考えている、
と考えて身構えた方がよいです。

この”客観的に考えられている”という
免罪符をもって、人を断じたりするのが
人間の特徴です。

「常識的に考えて〜」
「普通に考えて〜」
「みんなそう言ってるよ!」

なども同様です。

そう考えた時は、「主観」だと
自省したほうが良いと思います。

 

人間は基本的に思考停止したい


こちらの記事でも詳しく書いていますが、
人間は「考える」のが嫌いです。

探究し続けるより、安易な答えに飛びつきたい
のが人間の本能だと思います。

www.presen-sen-nin.com


一度「答え」を出してしまった後で 、
再度考え直したりするのはなかなか
骨が折れることですね。

ただ、思考停止は間違いなく危険なので、
常に自分の思考をモニタリングする
必要があるかと思います!

マウンティング・ゴリラの深層心理


ネット上にはたくさんの議論があります。

何かを主張する時は、ある種のマウンティング
が発生する場合も多いです。

私自身が書いているこのブログもそうで、
気づかぬうちにそういうマウンティング要素
が入っている可能性も否定できません。


私が思うに、
 

マウントを取りたいと言う
人間の心理の裏にあるのは、

先に述べたような

①自分は賢い
②自分が正しい
③自分は客観的に物事を見ている

言う傲慢さが見え隠れします。

自分への不安なんかもあるかもしれません。

何かを主張するのは良いと思いますが、
マウンティング要素を入れる必要はないわけです。

それが自分への”アファメーション”として
確実に入ってきてしまいますので、

他人をコケにしたり、評論したり、、、
というのは良く無いな〜と

私は思いますね。

 

 

すごい人ほど、自省する力、謙虚さがある


私が世の中を観察していてすごく思うのは、

「すごい人」ほど自省する力、謙虚さがある
というのは共通点な気がします。

特に、世の中である程度以上の結果を出した人
というのは大きく2種類に分かれる気がしています。

それは、

1、うぬぼれて傲慢になって(そのうち)失墜する人
2、どんどん謙虚になって、さらなる高みに上り詰めていく人

 
という違いです。

本気ですごい人は、

実るほど首を垂れる稲穂かな

が基本な気がします。

 

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いわゆる”天狗状態”というのは
長続きしませんね。

鼻を折られて気付ける人もいれば、
取り返しのつかないところまで暴走する人も。。。

他人のフリ見て、我がフリ直す!
というのはすごく大事かと思います。

 

今日のまとめ :自省力は成長の土台!


というわけで、今日は「自省する力」について
考えてみました。

なんか取り止めもない文章になってしまいましたが、
何が言いたいか?というと、、、

今日のポイント!   ・自分は賢い、正しい、客観的と思い込んでいるのが人間!
・他者批判/成長ストップの原因になるので要注意!

 
というお話でした。

書きながら、「全部、自分に返ってくるな。笑」
と思ってしまいました。

ヤバいですね。

自分が賢い、正しいとか謎の妄想に
取り憑かれて人を批判している時は

いったん、立ち止まって内省すべきですね。

謙虚に、自省し、人との違いを認め、
学べるものを貪欲に学んでいきたいと思います! 

今日は以上になります!


ぷれぜん仙人